【童謡】野口雨情の童謡 日本全国、心に響く名曲 歌い継がれ100年 「赤い靴」

北茨城市出身の童謡作家、野口雨情は100年前の1919年、初めて児童雑誌で童謡を発表した。
年明けの来月27日には没後75年を迎える。
「シャボン玉」「七つの子」…。雨情が残した数多くの童謡は地元の同市はもちろん、日本全国で歌い継がれている。

「♪からす なぜなくの…」

今月15日、同市磯原町本町の市民ふれあいセンターで開かれた「雨情の里音楽祭」。
出演者や来場者約400人が、雨情の心を受け継いで歌や楽器演奏を楽しんだ。

途中には「雨情100周年おめでとう!」の企画が行われ、雨情に扮(ふん)した男性とコーラス隊の子どもたちが語り合う形で、雨情の童謡がいかに歌い継がれているかに思いをはせた。

コーラス隊に参加した同市立明徳小学校6年、篠原由衣さん(11)は「いろいろな詩を作詞していてすごいと思う。『赤い靴』は悲しい歌だけど結構感動的」と話す。

同祭事務局長の荒木正秋さん(68)は「雨情の詩からは情景が浮かび、人の心に響く。これからも歌い継いでいかなければいけない」と語る。

雨情(本名・英吉)は1882年、当時の磯原村に生まれた。
生家は水戸徳川家藩主の休息所としても使われ、「磯原御殿」とも呼ばれた名家だった。少年時代から文学的な素養に富んでいたという。

20歳のころの1902年、文芸雑誌に「雨情」の名で詩壇デビュー。
その後父の死による家督相続、北海道での新聞記者時代などを経て、1919(大正8)年、児童雑誌「金の船」で童謡作品を初めて発表した。

それ以来、「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」「あの町この町」「雨降りお月さん」「青い眼の人形」「證城寺の狸囃子」など、代表曲を次々に世に送り出していった。

北原白秋西條八十とともに童謡界の三大詩人とうたわれ、童謡だけでなく、全国で民謡や校歌を残した。その数は全体で2千を超えるという。

北茨城市内には雨情に関連する施設があるほか、学校でも童謡を歌い、雨情をしのぶ機会を設けている。

雨情が15歳で上京するまで過ごした生家は、海岸に向かって立つ木造2階建ての屋敷。現在は資料館となっており、見学可能だ。

雨情の生誕100年を記念して1981年に建設された野口雨情記念館(市歴史民俗資料館)では、駐車場中央の銅像のそばを通るとシャボン玉が飛び出してくる仕掛けがあり、来館者を出迎える。

雨情の母校である同市立精華小学校では、毎年1月27日の雨情の命日前後に「野口雨情週間」を実施。全校児童や各学級で雨情の童謡を歌ったり、人柄をしのんだりしている。

童謡が100年もの間歌い継がれてきたゆえんについて、雨情の孫で生家資料館代表の野口不二子さん(77)は「雨情は、作った詩歌さえ残って歌われたら自分の名前は忘れられてもいい、という信念を持っていた」とし、
「子どもの心に沿い、子どものために童謡を作ることを生涯貫いた」と語った。

来月27日は没後75年を迎え、生家資料館で雨情の業績に思いをはせる講演やコンサートを行う。(小原瑛平)

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2019/12/29(日) 7:00配信

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童謡 赤い靴